何気ない日常の中に…☆☆☆

40代3人子持ちhanaの子育て、楽しみ、生き方、思うことイロイロ~断捨離やシンプルライフに興味持ち始めました

①初めての子育てと、突然やってきた介護の先の見えない苦しい時期

☆☆☆こんにちはhanaです☆☆☆

私の母はアルツハイマー認知症です。

手術や薬で治るならば、お金がかかっても治療したい…。でも現実は内服薬で進行を少しでも緩やかにすることを期待する事しか出来ません。

理性が利かず怒り散らしたり、

『疲れた』という言葉が増え、

孫や子は可愛いと思えても

積極的に趣味や人生を楽しむ余裕も無くなり、

病気が故に本人も家族もお互いに言葉で

傷つけ合う事もあり、先が見えない不安があります。
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今から9年前、私が長女を出産して里帰りをしていたときの事。

母乳があまり出なくて、ミルクも飲ませていました。

母が

『哺乳瓶はお母さんが洗って、煮沸消毒しておくからhanaは休みなさい』

と言ってくれました。

次にミルクを作る時に

『哺乳瓶どこにしまってくれたの?』

と私が聞くと

『お母さんは知らんよ。どこにもやってないよ。』

と。

探してみると、茶箪笥にしまってあったり、食器棚にしまってあったり、食品庫にしまってあったり毎回違う場所にしまってありました。

又、ヤクルトやダスキン、置き薬の会社の方の訪問がある度に

『財布が無い』

と言って探し回っていました。

しばらく探しては見つかっていました。

 

あれ?お母さん何かおかしい…。

認知症…?

 

『忘れっぽくなったのは、

おじいちゃんが変な事ばっかり言ってくるから、疲れちゃってるからだと思う』

と母はこの頃よく言っていました。

 

当時80代だった祖父もアルツハイマー認知症でした。(この祖父は私の父の親)

病気にになる前の祖父は家族に対しては少し頑固な所もありましたが、

生き字引と家族が納得できるほど物知りで、賢い人で、

人のために一生懸命になる人で、

孫の私をとても可愛がってくれました。

ひ孫が生まれて大喜びする祖父でしたが、同時に祖父の病気も徐々に進行していました。怒りっぽくなり、何かにつけて母に言いがかりを言う事が増えてきた時期でもありました。

 

 

母ももしかして認知症かしらと疑いながらも

『そうか、私の里帰りも重なって、

おじいちゃんの介護も大変だし、

お母さんも疲れているんだね。

ストレスで忘れっぽくもなるよね』

と納得していました。

 

私が里帰りを終えて自宅へ戻ってから

祖父の病状はさらに悪化し、徘徊、幻覚、幻聴もみられるようになり、

デイサービスを2カ所利用し始めました。

 

私は膝の悪い祖母の畑の手伝いや、

祖父のデイサービスの休みの日と

デイサービスから帰って来てからの

話し相手になったりしました。

又、家にいるのに

『俺は家に帰る』

と外へ出て行ってしまう祖父を

時には長女をおんぶしながら、徘徊に付き合ったりしました。

ショートステイは祖父は帰宅願望が強くて戸を叩いて暴れるとのことで施設から断られて利用出来ませんでした。

夜中もオムツをしても自分で外してびったんこになり、つなぎ服を着せても祖父は力尽くで破って脱いでしまったりして、祖母、父で着替えさせるという日々でした。

ケアマネジャーさんに相談し、

私が乳飲み子をおんぶしながら徘徊に付き合ったり、

乳飲み子と祖父母をドライブに連れて行ったりして何とか一日一日をやり過ごしているという状況や

膝の悪い祖母も杖歩行で、

母も混乱していて祖父の自宅介護は困難だと理解して貰えて

ある精神病院で受け入れて貰える事になりました。

実際、精神的にも体力的にも家族が、限界にきていました。

 

祖父が入院した病院は片道1時間かかります。週に1,2回着替えを届けて面会し、洗濯物を持ち帰ることになりました。

 

祖父の介護負担が減り、母もようやく穏やかに過ごせると思いましたが、

母の気持ちは晴れず

物忘れも相変わらずで『疲れた』の連発で、かなりストレスフルな状態にみえました。

お母さんどうしちゃったんだろう。

認知症鬱病?…。

 

 

 長くなってしまったので、続きは次回にお伝えします。

 

今日も最後までお読み頂いて

ありがとうございました。

 

☆☆☆あなたにも幸せが

     たくさん訪れますように☆☆☆